2018年10月12日、武蔵野線向け205系5000番台の千ケヨM7編成が、廃車・海外譲渡のため、所属している京葉車両センター(新習志野駅)から総合車両製作所新津事業所(新津駅)まで配給された。牽引はEF64-1030。
今回廃車されたのは以下の8両
1号車 | クハ205-48 | 1988年2月27日新製(日立) |
2号車 | モハ205-5013 | 1988年2月27日新製(日立) |
3号車 | モハ204-5013 | 1988年2月27日新製(日立) |
4号車 | サハ205-95 | 1988年2月27日新製(日立) |
5号車 | サハ205-96 | 1988年2月27日新製(日立) |
6号車 | モハ205-5014 | 1988年2月27日新製(日立) |
7号車 | モハ204-5014 | 1988年2月27日新製(日立) |
8号車 | クハ204-48 | 1988年2月27日新製(日立) |
補足情報
武蔵野線向け205系0・5000番台の撤退は、予定全42編成中7編成目。
今回廃車となった千ケヨM7編成は、山手線の東ヤテ48編成を8両編成に短縮する形で組成された。モハ205/204-5013の種車はモハ205/204-142で、モハ205/204-143の種車はモハ205/204-143である。モハ204-143号がMG(電動発電機)を搭載していなかったため、武蔵野線転用時にモハ204-5014号はSIV(静止型インバータ)を搭載している。編成番号は、武蔵野線転入当初は八トタE33編成だったが、2004年3月12日の京葉電車区(現・京葉車両センター)転属と2004年10月16日の編成番号変更により、千ケヨM7編成に改められた。この編成は2004年2月14日に改造されてから、武蔵野線では約14年8ヶ月間使用された。
この編成は2018年10月8日の2331E(府中本町発 各駅停車 新習志野行)が最後の営業運転となった。
今後は、インドネシアのPT.Kereta Commuter Indonesiaへ譲渡される。武蔵野線からは49~56両目となり、JR東日本205系電車としては通算525~532両目(埼京・川越線180両、横浜線176両、南武線120両、武蔵野線56両)となる。4号車車両のサハ205-95号については、元宮ハエ7編成の10号車だったクハ205-95号(埼京・川越線)と番号重複が発生する。8号車車両のクハ204-48号については、元宮ハエ18編成の2号車だったサハ204-48号(埼京・川越線)と番号重複が発生する。これは、インドネシアでは、クハ、モハ、サハといった日本語表記を除去するためである。
武蔵野線向け205系0・5000番台のインドネシア譲渡に当たっては、京葉車両センターで前面行先表示機と編成番号札を模した特別装飾を施している。今回、種別表示は「むさしの号」、行先表示はJakarta(ジャカルタ)で、編成札は武蔵野線205系電車の通常の編成札を模したものだった。
【廃車車両の車歴】
全車両:山手→豊田(2004-02-14)→京葉(2004-03-13)
追記
この記事はYahoo!ブログから移行したものです(作業日:2019/09/04、作業コード:5-2505-9060-4050-0)今後の掲載予定
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