新東京周辺鉄道車両速報ブログ

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H0364【JR武蔵野線】千ケヨM8編成が廃車

2020年6月3日、武蔵野線向け205系5000番台の千ケヨM8編成が、廃車・海外譲渡のため、所属している京葉車両センター(新習志野駅)から蘇我駅まで配給された。牽引はEF81-140。

今回廃車されたのは以下の8両

1号車 クハ205-6 1985年7月11日新製(近車)
2号車 モハ205-5015 1988年2月27日新製(日立)
3号車 モハ204-5015 1988年2月27日新製(日立)
4号車 サハ205-210 1990年7月5日新製(川重)
5号車 サハ205-211 1990年7月5日新製(川重)
6号車 モハ205-5016 1988年2月18日新製(日立)
7号車 モハ204-5016 1988年2月18日新製(日立)
8号車 クハ204-6 1985年7月11日新製(近車)

補足情報

武蔵野線向け205系0・5000番台の撤退は、予定全42編成中36編成目。

今回廃車となった千ケヨM8編成は、山手線からの転出時の短編成化で余剰となった車両と、埼京・川越線で6扉車と入れ替えられた4扉車を寄せ集めて組成された編成だった。この編成は2004年2月6日に改造されてから、武蔵野線では約16年4ヶ月間使用された。

1号車のクハ205-6号と、8号車のクハ204-6号は、山手線の東ヤテ6編成から転用された。2・3号車のモハ205/204-5015号は、千ケヨM7編成(当時:八トタE33編成)組成に当たって編成から外された、山手線の東ヤテ48編成だったモハ205/204-144号から改造された。この車両はMG(電動発電機)搭載車である。4・5号車のサハ205-210号・211号は、埼京・川越線の宮ハエ17編成から転用された。6・7号車のモハ205/204-5016号は、千ケヨM6編成(当時:八トタE8編成)組成に当たって編成から外された、山手線の東ヤテ47編成だったモハ205/204-140号から改造された。この車両は山手線時代にMGが撤去されていたため、改造時にSIV(静止型インバータ)を搭載している。

この編成は2020年6月1日の873E(西船橋発 各駅停車 新習志野行)が最後の営業運転となった。この列車は京葉線内だけの運用であり、武蔵野線内で営業運転を行ったのは、同日の773E(東所沢発 各駅停車 海浜幕張行)が最後だった。

今後は、インドネシアのPT.Kereta Commuter Indonesiaへ譲渡される。武蔵野線からは281~288両目となり、JR東日本205系電車としては通算757~764両目(埼京・川越線180両、横浜線176両、南武線120両、武蔵野線288両)となる。4号車車両のサハ205-210号については、元横クラH15編成の4号車だったモハ205-210号(横浜線)と番号重複が発生する。これは、インドネシアでは、クハ、モハ、サハといった日本語表記を除去するためである。

武蔵野線向け205系0・5000番台のインドネシア譲渡に当たっては、京葉車両センターで前面行先表示機と編成番号札を模した特別装飾を施している。今回、行先表示はJakarta(ジャカルタ)で背景には梅雨をイメージしたイラストが描かれ、編成札は武蔵野線205系電車の通常の編成札を模したものだった。

【廃車車両の車歴】
1・8号車:品川→山手(1985-11-01)→豊田(2004-02-06)→京葉(2004-03-13)
2・3・6・7号車:山手→豊田(2004-02-06)→京葉(2004-03-13)
4・5号車:川越→豊田(2004-02-06)→京葉(2004-03-13)

今後の掲載予定

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