2018年9月14日、武蔵野線向け205系5000番台の千ケヨM13編成が、廃車・海外譲渡のため、所属している京葉車両センター(新習志野駅)から総合車両製作所新津事業所(新津駅)まで配給された。牽引はEF64-1032。
今回廃車されたのは以下の8両
1号車 | クハ205-8 | 1985年7月23日新製(川重) |
2号車 | モハ205-5025 | 1988年1月8日新製(日立) |
3号車 | モハ204-5025 | 1988年1月8日新製(日立) |
4号車 | サハ205-216 | 1990年7月26日新製(川重) |
5号車 | サハ205-217 | 1990年7月26日新製(川重) |
6号車 | モハ205-5026 | 1985年8月20日新製(川重) |
7号車 | モハ204-5026 | 1985年8月20日新製(川重) |
8号車 | クハ204-8 | 1985年7月23日新製(川重) |
補足情報
武蔵野線向け205系0・5000番台の撤退は、予定全42編成中6編成目。
今回廃車となった千ケヨM13編成は、山手線からの転入車に埼京・川越線から転入の付随車を組み込んだ、寄せ集めタイプの編成で、付随車のみ客室扉の窓が大型となっていた。
クハ205/204-8は、山手線向け205系電車の東ヤテ8編成の先頭車だった。モハ205/204-5025は、東ヤテ43編成を8両編成に短縮して千ケヨE34編成(現・M12編成)を組成した時に外されたモハ205/204-129を種車とした、MG(電動発電機)搭載車である。モハ205/204-5026は、東ヤテ9編成のモハ205/204-27から改造されたMG搭載車であり、205系5000番台に改番された電動車としては最若番だった。この車両は5000番台に改造された車両としては少数派(144両中14両のみ)の初期製造分であるため、改造時に横ナハT12編成(鶴見線向け205系1100番台)の、モハ205-134・クモハ204-1102と台車を交換している。付随車は埼京・川越線の宮ハエ20編成から転用されていた。編成番号は、武蔵野線転入当初は千ケヨE9編成だったが、2004年10月16日付で千ケヨM13編成に改められた。この編成は2004年7月27日に改造されてから、武蔵野線では約14年2ヶ月間使用された。
この編成は2018年9月7日の831E(西船橋発 各駅停車 新習志野行)が最後の営業運転となった。この列車は京葉線内だけの運用であり、武蔵野線内で営業運転を行ったのは、同日の631E→630E(府中本町発 各駅停車 東京行)が最後だった。
今後は、インドネシアのPT.Kereta Commuter Indonesiaへ譲渡される。武蔵野線からは41~48両目となり、JR東日本205系電車としては通算517~524両目(埼京・川越線180両、横浜線176両、南武線120両、武蔵野線48両)となる。4号車車両のサハ205-216号については、元横クラH18編成の4号車だったモハ205-216号(横浜線)と番号重複が発生する。5号車車両のサハ205-217号については、元横クラH19編成の7号車だったモハ205-217号(横浜線)と番号重複が発生する。8号車車両のクハ204-8号については、元宮ハエ15編成の3号車だったサハ204-8号(埼京・川越線)と番号重複が発生する。これは、インドネシアでは、クハ、モハ、サハといった日本語表記を除去するためである。
武蔵野線向け205系0・5000番台のインドネシア譲渡に当たっては、京葉車両センターで前面行先表示機と編成番号札を模した特別装飾を施している。今回は、2013年3月16日ダイヤ改正で廃止されるまで運転されていた、「快速(武蔵野線内各駅停車)」の種別表示をイメージした装飾となった。行先表示はJakarta(ジャカルタ)で、編成札は武蔵野線205系電車の通常の編成札を模したものだった。
【廃車車両の車歴】
1・6~8号車:品川→山手(1985-11-01)→東京(2004-06-01)→京葉(2004-07-27)
2・3号車:山手→東京(2004-06-01)→京葉(2004-07-27)
4・5号車:川越→京葉(2004-07-27)
追記
この記事はYahoo!ブログから移行したものです(作業日:2019/09/04、作業コード:5-2595-9010-1090-0)今後の掲載予定
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