新東京周辺鉄道車両速報ブログ

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H0418【JR武蔵野線】千ケヨM23編成が廃車

2020年7月29日、武蔵野線向け205系5000番台の千ケヨM23編成が、廃車・海外譲渡のため、所属している京葉車両センター(新習志野駅)から蘇我駅まで配給された。牽引はEF81-140。

今回廃車されたのは以下の8両

1号車 クハ205-9 1985年8月20日新製(川重)
2号車 モハ205-5045 1986年5月13日新製(川重)
3号車 モハ204-5045 1986年5月13日新製(川重)
4号車 サハ205-230 1990年12月10日新製(川重)
5号車 サハ205-231 1990年12月10日新製(川重)
6号車 モハ205-5052 1986年6月10日新製(川重)
7号車 モハ204-5052 1986年6月10日新製(川重)
8号車 クハ204-9 1985年8月20日新製(川重)

補足情報

武蔵野線向け205系0・5000番台の撤退は、予定全42編成中38編成目。

今回廃車となった千ケヨM23編成は、山手線からの転出時の短編成化で余剰となった車両と、埼京・川越線で6扉車と入れ替えられた4扉車を寄せ集めて組成された編成だった。この編成は2005年1月13日に改造されてから、武蔵野線では約15年6ヶ月間使用された。検査期限などの事情から、2006年5月頃に当初6・7号車に組み込まれていたモハ205/204-5046号を、千ケヨM26編成のモハ205/204-5052号と交換している。この2両は2005年2月22日に改造されており、武蔵野線では約15年5ヶ月間使用された。

1号車のクハ205-9号と、8号車のクハ204-9号は、山手線の東トウ9編成から転用された。2・3号車のモハ205/204-5045号は、千ケヨM24編成組成に当たって編成から外された、山手線の東トウ33編成だったモハ205/204-99号から改造された。4・5号車のサハ205-230号・231号は、埼京・川越線の宮ハエ25編成から転用された。6・7号車のモハ205/204-5052号は、千ケヨM25編成組成に当たって編成から外された、山手線の東トウ34編成だったモハ205/204-102号から改造された。モハ204-5045・5052ともにMG(電動発電機)搭載車である。

この編成は2020年7月26日の8374E(東京発 各駅停車 西船橋行)が最後の営業運転となった。この列車は京葉線内だけの運用であり、武蔵野線内で営業運転を行ったのは、2020年7月25日の879E(府中本町発 各駅停車 新習志野行)が最後だった。

今後は、インドネシアのPT.Kereta Commuter Indonesiaへ譲渡される。武蔵野線からは297~304両目となり、JR東日本205系電車としては通算773~780両目(埼京・川越線180両、横浜線176両、南武線120両、武蔵野線304両)となる。4号車車両のサハ205-230号については、元横クラH25編成の4号車だったモハ205-230号(横浜線)と番号重複が発生する。これは、インドネシアでは、クハ、モハ、サハといった日本語表記を除去するためである。

武蔵野線向け205系0・5000番台のインドネシア譲渡に当たっては、京葉車両センターで前面行先表示機と編成番号札を模した特別装飾を施している。今回、行先表示はJakarta(ジャカルタ)で背景にはアサガオのイラストが描かれ、編成札は武蔵野線205系電車の通常の編成札を模したものだった。

【廃車車両の車歴】
1・8号車:品川→山手(1985-11-01)→東京(2004-06-01)→京葉(2005-01-13)
2・3号車:山手→東京(2004-06-01)→京葉(2005-01-13)
4・5号車:川越→京葉(2005-01-13)
2・3・6・7号車:山手→東京(2004-06-01)→京葉(2005-02-2)

今後の掲載予定

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