新東京周辺鉄道車両速報ブログ

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H0485【JR武蔵野線】千ケヨM17編成が廃車

2020年10月14日、武蔵野線向け205系5000番台の千ケヨM17編成が、廃車・海外譲渡のため、所属している京葉車両センター(新習志野駅)から蘇我駅まで配給された。牽引はEF81-134。

今回廃車されたのは以下の8両

1号車 クハ205-10 1985年8月22日新製(川重)
2号車 モハ205-5009 1988年1月12日新製(日立)
3号車 モハ204-5009 1988年1月12日新製(日立)
4号車 サハ205-224 1990年11月19日新製(川重)
5号車 サハ205-225 1990年11月19日新製(川重)
6号車 モハ205-5039 1985年8月29日新製(近車)
7号車 モハ204-5039 1985年8月29日新製(近車)
8号車 クハ204-10 1985年8月22日新製(川重)

補足情報

武蔵野線向け205系0・5000番台の撤退は、予定全42編成中41編成目。

今回廃車となった千ケヨM17編成は、山手線からの転出時の短編成化で余剰となった車両と、埼京・川越線で6扉車と入れ替えられた4扉車を寄せ集めて組成された編成だった。この編成は2004年10月19日に改造されてから、武蔵野線では約16年0ヶ月間使用された。検査期限などの事情から、2005年4月頃に電動車のモハ205/204-5033・5034号を、千ケヨM5編成のモハ205/204-5009号、千ケヨM20編成のモハ205/204-5039号と交換している。モハ205/204-5009は2003年12月26日に改造されており、武蔵野線では約16年10ヶ月間使用された。モハ205/204-5039は2004年10月26日に改造されており、武蔵野線では約16年0ヶ月間使用された。

1号車のクハ205-10号と、8号車のクハ204-10号は、山手線の東トウ10編成から転用された。2・3号車のモハ205/204-5009号は、千ケヨM3編成(旧・E6編成)組成に当たって編成から外された、山手線の東ヤテ43編成だったモハ205/204-132号から改造された。この車両はMG(電動発電機)搭載車である。4・5号車のサハ205-224号・225号は、埼京・川越線の宮ハエ22編成から転用された。6・7号車のモハ205/204-5039号は、山手線の東トウ12編成だったモハ205/204-36号から改造された(5000番台化された車両としては最若番だった)。この車両はMG搭載車である。

この編成は2020年10月12日の701E(府中本町発 各駅停車 新習志野行)が最後の営業運転となった。

今後は、インドネシアのPT.Kereta Commuter Indonesiaへ譲渡される。武蔵野線からは321~328両目となり、JR東日本205系電車としては通算797~804両目(埼京・川越線180両、横浜線176両、南武線120両、武蔵野線328両)となる。4号車車両のサハ205-224号については、元横クラH22編成の4号車だったモハ205-224号(横浜線)と番号重複が発生する。5号車車両のサハ205-225号については、元横クラH23編成の7号車だったモハ205-225号(横浜線)と番号重複が発生する。8号車車両のクハ204-10号については、元宮ハエ20編成の2号車だったサハ204-10号(埼京・川越線)と番号重複が発生する。これは、インドネシアでは、クハ、モハ、サハといった日本語表記を除去するためである。

武蔵野線向け205系0・5000番台のインドネシア譲渡に当たっては、京葉車両センターで前面行先表示機と編成番号札を模した特別装飾を施している。今回、行先表示はJakarta(ジャカルタ)で背景には落ち葉のイラストが描かれ、編成札は武蔵野線205系電車の通常の編成札を模したものだった。

【廃車車両の車歴】
1・8号車:品川→山手(1985-11-01)→東京(2004-06-01)→京葉(2004-10-19)
2・3号車:山手→豊田(2003-12-26)→京葉(2004-03-13)
4・5号車:川越→京葉(2004-10-19)
6・7号車:品川→山手(1985-11-01)→東京(2004-06-01)→京葉(2004-10-26)

今後の掲載予定

今後の掲載予定は、サブブログ『新東京周辺鉄道車両速報ブログ管理委員会』に記載しております。