2018年11月2日、武蔵野線向け205系5000番台の千ケヨM26編成が、廃車・海外譲渡のため、所属している京葉車両センター(新習志野駅)から総合車両製作所新津事業所(新津駅)まで配給された。牽引はEF64-1031。
今回廃車されたのは以下の8両
1号車 | クハ205-12 | 1985年8月29日新製(近車) |
2号車 | モハ205-5051 | 1988年3月17日新製(川重) |
3号車 | モハ204-5051 | 1988年3月17日新製(川重) |
4号車 | サハ205-150 | 1989年6月21日新製(川重) |
5号車 | サハ205-151 | 1989年6月21日新製(川重) |
6号車 | モハ205-5046 | 1985年9月3日新製(東急) |
7号車 | モハ204-5046 | 1985年9月3日新製(東急) |
8号車 | クハ204-12 | 1985年8月29日新製(近車) |
補足情報
武蔵野線向け205系0・5000番台の撤退は、予定全42編成中8編成目。
今回廃車となった千ケヨM26編成は、山手線からの転出時の短編成化で余剰となった車両と、埼京・川越線で6扉車と入れ替えられた4扉車を寄せ集めて組成された編成だった。この編成は2005年2月22日に改造されてから、武蔵野線では約13年9ヶ月間使用された。検査期限などの事情から、2006年5月頃に当初6・7号車に組み込まれていたモハ205/204-5052号を、千ケヨM23編成のモハ205/204-5046号と交換している。この2両は2005年1月13日に改造されており、武蔵野線では約13年10ヶ月間使用された。
1号車のクハ205-12号と、8号車のクハ204-12号は、山手線の東トウ12編成から転用された。2・3号車のモハ205/204-5051号は、千ケヨM28編成組成に当たって編成から外された、山手線の東トウ52編成だったモハ205/204-156号から改造された。この車両はMG(電動発電機)搭載車である。4・5号車のサハ205-150号・151号は、埼京・川越線の宮ハエ3編成から転用された。6・7号車のモハ205/204-5046号は、山手線の東トウ13編成だったモハ205/204-39号から改造された。この車両はMG搭載車である。この2両は台車が改良される前に製造された車両(南ヤテ31編成まで)であるため、台車改良後の東トウ32編成(落成時は南ヤテ32編成)から改造された鶴見線のモハ205-95号、クモハ204-1102号と台車を交換している。
この編成は2018年10月30日の2159E(府中本町発 各駅停車 新習志野行)が最後の営業運転となった。
今後は、インドネシアのPT.Kereta Commuter Indonesiaへ譲渡される。武蔵野線からは57~64両目となり、JR東日本205系電車としては通算533~540両目(埼京・川越線180両、横浜線176両、南武線120両、武蔵野線64両)となる。8号車車両のクハ204-12号については、元宮ハエ23編成の3号車だったサハ204-12号(埼京・川越線)と番号重複が発生する。これは、インドネシアでは、クハ、モハ、サハといった日本語表記を除去するためである。
武蔵野線向け205系0・5000番台のインドネシア譲渡に当たっては、京葉車両センターで前面行先表示機と編成番号札を模した特別装飾を施している。今回、行先表示はJakarta(ジャカルタ)で日本の秋の景色をイメージした背景イラストが描かれ、編成札は武蔵野線205系電車の通常の編成札を模したものだった。
【廃車車両の車歴】
1・8号車:品川→山手(1985-11-01)→東京(2004-06-01)→京葉(2005-02-22)
2・3号車:山手→東京(2004-06-01)→京葉(2005-02-22)
4・5号車:川越→京葉(2005-02-22)
6・7号車:品川→山手(1985-11-01)→東京(2004-06-01)→京葉(2005-01-13)
※本日(2018年11月8日)は、2回投稿いたします。
追記
この記事はYahoo!ブログから移行したものです(作業日:2019/09/04、作業コード:5-7515-9050-4080-0)今後の掲載予定
今後の掲載予定は、サブブログ『新東京周辺鉄道車両速報ブログ管理委員会』に記載しております。