新東京周辺鉄道車両速報ブログ

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Y0671【JR京葉線】千ケヨ51+K1編成が廃車

2011年5月17日、京葉線向け201系0番台分割編成の千ケヨ51+K1編成が、廃車・解体のため、所属している京葉車両センター(新習志野駅)から、長野総合車両センター(北長野駅)まで自力回送した。

今回廃車されたのは以下の10両

千ケヨK1編成
10号車 クハ201-104 1983年11月1日新製(日車)
9号車 モハ201-215 1983年11月1日新製(日車)
8号車 モハ200-215 1983年11月1日新製(日車)
7号車 クハ200-36 1982年8月10日新製(川重)
千ケヨ51編成
6号車 クハ201-37 1982年8月10日新製(川重)
5号車 モハ201-213 1983年11月1日新製(日車)
4号車 モハ200-213 1983年11月1日新製(日車)
3号車 モハ201-214 1983年11月1日新製(日車)
2号車 モハ200-214 1983年11月1日新製(日車)
1号車 クハ200-103 1983年11月1日新製(日車)

補足情報

京葉線向け201系0番台分割編成の撤退は、予定全4編成中3編成目。

千ケヨ51+K1編成は、元は3つの編成にルーツを持っており、複数回の編成組換を経て現在の編成を組成している。10両全てが中央・総武線(旧三鷹電車区)から転属した車両であるが、京葉線転入当初は、10~8号車が貫通編成の千ケヨ73編成(←八ミツ10編成)、7・6号車が分割編成の旧千ケヨ51+K1編成(←八ミツ4編成)、5~1号車が貫通編成の旧千ケヨ72編成(←八ミツ9編成)であった。八ミツ9編成と八ミツ10編成は落成当初は同じ編成であったが、保安機器の関係で試作車(900番台)が編成の先頭に出せなくなったことから、試作車10両を組み込むために分割されており、京葉線にも試作車を組み込んだ状態で転用されていた。京葉線でも中間に組み込まれた900番台の運転台は使用できないため、貫通編成扱いで運用された。八ミツ4編成は分割編成として転入した。

2002年度から2005年度かけて山手線(旧山手電車区→東京総合車両センター)から205系電車が転入する際、車両の転配計画の関係により103系電車より10両多く配置されることになったため、仕様の差(201系電車で唯一クモハがある)がある試作車は廃車されることになり、旧千ケヨ72編成と旧千ケヨ73編成で廃車されずに残った量産車10両を組み合わせて新千ケヨ72編成を組成していた。この時、試作車を4両組み込んでいたため6両が残った旧千ケヨ72編成と、試作車を6両組み込んでいたため4両が残った旧千ケヨ73編成を、分割編成や、同じく貫通編成扱いとされていた千ケヨ71編成と同じ組成にするため、蘇我方に4両編成、東京方に6両編成を連結することになり、10号車にクハ201-104号、1号車にクハ200-103号が組み込まれる逆転現象が発生していた。

2008年度に京浜東北根岸線(浦和電車区)から209系500番台が4編成転入した時は、201系電車のうち貫通編成のみが置き換えられることになり、その対象は千ケヨ71編成と千ケヨ72編成、2006年度に中央線快速電車から転入していた千ケヨ70編成と千ケヨ74編成となった。しかし、分割編成の千ケヨ51+K1編成は千ケヨ72編成より高経年の車両で組成されているため、貫通編成の千ケヨ72編成を分割編成に変更し、分割編成の千ケヨ51+K1編成を廃車とすることになった。ところが、千ケヨ72編成の中間に封じ込められていたクハ200-104号とクハ201-103号は、分割編成として運転するために必要な装備を有しておらず、改造をするには手間がかかることから、中間に組み込まれる制御車のみは旧千ケヨ51+K1編成のクハ200-36号・クハ201-37号と交換することで対応をしていた。

千ケヨ51+K1編成は、検査期限は4編成在籍していた分割編成の中で最も遅かったが、行先表示機が故障するなど車両の状態が悪かったため、廃車の順番が千ケヨ54+K4編成と入れ替えられた。

【廃車車両の車歴】
10~8号車:中野→三鷹(1986-03-03)→京葉(2001-09-27)
7・6号車:中野→三鷹(1986-03-03)→京葉(2000-11-03)
5~1号車:中野→三鷹(1986-03-03)→京葉(2001-06-08)

追記

この記事はYahoo!ブログから移行したものです(作業日:2019/08/14、作業コード:2-0050-4001-7074-6)

今後の掲載予定

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